本能寺に黒人サムライがいた?!織田信長との知られざる関係
織田信長の側近に黒人侍がいたという意外と知られていないことについてまとめました。 画像: mjranum-stock
戦国時代、織田信長に仕え、本能寺で明智光秀と戦った黒人サムライがいました。
信長公記には「十人力の剛力」と記されている
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▶黒人サムライはどこからやってきたのか?
日本に派遣されてきた東インド巡察師ヴァリャニーニの従者
出典 彌介を騙る
アフリカはモザンビークの出身でであったと伝えられています。
出典 彌介を騙る
織田信長は、宣教師の一行が信長に謁見を申し入れたとき、同行の黒人見たさに予定より二日も早く本能寺に招きました。
出典 藤田みどり『アフリカ「発見」』を読むーーやはり日本人も奴隷売買…
初めて黒人を自分の眼で見た信長は、肌が黒いことが信じられずに、その場で体を洗わせたそうです。
出典 ムビラジャカナカのブログ | 信長に仕えた黒人「彌介」と秀吉が楽…
信長はこの黒人のことをえらく気に入って、宣教師に頼んで譲り受けてしまいます。
出典 ムビラジャカナカのブログ | 信長に仕えた黒人「彌介」と秀吉が楽…
▶黒人サムライ 弥助(ヤスケ)の驚くべき能力
一説によれば、ヤスケは宣教師の奴隷のときには人間扱いされていなかったが、信長は彼を「ヤスケ」と名づけ、武士の身分を与えて家臣とし衣食住不自由がないように取り計らわれた。
出典 621日目・・・日本人が出会った最初の「黒人」って・・・イタ…
信長はこの黒人を「弥助」と名づけて士分に取り立て、側近とした。
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信長はヤスケの持っている身体的能力の優秀さを日本人男性の10人分以上だと評価している。
出典 黒人武士ヤスケの足跡|中山道を歩こう
『松平家忠日記』には、「名は弥助、身の丈六尺二寸(約187cm)、黒人男性、身は炭のごとく」とその容貌が詳細に記述されている。
出典 弥助 - Wikipedia
▶信長に忠誠を誓った弥助(ヤスケ)は真のサムライだった
本能寺の変では、明智光秀の兵と戦い多くの敵を倒した
出典 621日目・・・日本人が出会った最初の「黒人」って・・・イタ…
本能寺では信長と共に本能寺で戦った弥助(ヤスケ)
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数奇な運命のもと故郷を遠く離れた極東の島国で出会った新しい主君のため、自ら死地に赴くような危険な戦いに身を投じた彌介
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当時の武士達ですらまだ江戸時代ほど強い忠義の観念は持ち合わせていなかったのに、にもかかわらず主君親子のために命がけで戦った
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信長が炎の中に自刃すると、本能寺を抜け出して、二条城に立てこもっていた信長嫡男・信忠のもとに走っています。
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二条御所に行って戦った末、明智軍に捕縛された
出典 弥助 - Wikipedia
信長のために必死で戦った弥助(ヤスケ)
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光秀は、黒人だからということで放免し、宣教師の元へ戻すように指示しますが、彌介のその後の行方は記録にありません。
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その後の彌介の消息は不明です。
出典 彌介を騙る